Glass 10 / 2巻
バー・ホッパー
毎週ひとりで銀座を渡り歩く広告代理店の伊丹部長は、ラパンでも二杯飲んで千円札を置くだけで何も語らない。夜遊びを続ける父を許せない娘が店に乗り込んできたところで、佐々倉は20年前に伊丹がこのカウンターで泣いていた夜のことを話し、その父が幼い彰男に初めて飲ませた一杯、グラスホッパーを娘に出す。
この話に出てくるお酒
- グラスホッパー
- 題と二重に掛かっているこの回の主役。佐々倉が伊丹の娘に「お祖父様が亡くなられた時、お父さんがここで飲んでいたカクテル…召し上がってみますか?」と出す一杯で、娘の感想は「子供の頃に食べたチョコミントアイスの味がする」。回想では、祖父が小学生の彰男に「ママにもおばあちゃんにも絶対に内緒だぞ」「お前は舐めるだけだからな」と男同士の秘密として初めて飲ませたカクテルとして出てくる。この漫画には珍しく分量が示されていて、ホワイトカカオ 1/3・ペパーミント 1/3・生クリーム 1/3 をシェークして脚付きのカクテルグラスへ、と作中に書かれている。作中の銘柄:ミントリキュールは「GET 27」のボトルが描かれる(作中では18世紀後半にこれを作った「ジェット兄弟」として説明される)。ホワイトカカオと生クリームの銘柄は出てこない
「バー・ホッパー = グラスホッパー」
題は酒の名前ではなく、客の呼び名のほうだ。一晩に3〜4軒をバッタのように跳ね回る客をバー・ホッパーと呼ぶ、と作中で説明される。「一軒で2〜3杯、30分もいれば次の店に行く」「銀座には約600人のバー・ホッパーがいるという」。伊丹彰男もその一人で、毎週ひとりでラパンに寄っては短く飲んで出ていく。
そのうえで、この回の最後に出てくる一杯がグラスホッパーになる。直訳すればバッタで、題の hopper がそのまま酒名に入っている。前の話が「琥珀の夢 = アンバー・ドリーム」という素直な直訳だったのに対して、こちらは客の呼び名と酒名が同じ語を挟んで二重になっている構造だ。
掛かり方も二段になっている。バー・ホッパーは伊丹の現在の姿——家に帰らず店から店へ跳ねている父。グラスホッパーは伊丹の一番古い記憶——父から初めて舐めさせてもらった一杯。跳ね回っている理由のほうが、跳ねる名前の酒として娘の前に出てくる。題名と酒名が一致していること自体が、この話の答えになっている。
Pippermint ── 200年そのままの綴り
この回の薀蓄はグラスホッパーそのものではなく、材料のペパーミントリキュールのほうに付いている。18世紀後半にこれを作ったジェット兄弟が、Peppermint を Pippermint と綴ってしまった。その綴りが200年以上そのままボトルに——王冠の裏に——残っている、という話だ。描かれているボトルは GET 27 で、緑のペパーミントリキュールとしては今も手に入る実在の銘柄になる。
この薀蓄が置かれる位置がうまい。綴りの間違いは表のラベルではなく王冠の裏にあって、開けなければ見えない。そこから「人の本当の気持ちも表に見える部分だけではわからない」という台詞に繋がる。娘から見える伊丹は毎週飲み歩いている父で、見えていないのは20年前に父の危篤の夜、病院へ行けずにこのカウンターで泣いていたほうの伊丹だ。
つまり酒の知識が説教の枕として使われていない。栓の裏という具体的な場所が先にあって、そこに話の構造が乗っている。うちの立場で言うと、この手の薀蓄は覚えて披露するものというより、ボトルを買ったら実際に王冠を裏返して確かめられる種類の情報だ。GET 27 を一本開けたときにやってみるといい。
名前のある一杯が、この回には一杯しかない
読んでいて気づくのは、供された酒のほとんどに名前が書かれていないことだ。初来店の伊丹が飲んだ2杯、娘が最初に飲んでいた1杯、20年前の回想でカウンターに置かれていた1杯——いずれもカクテルグラスの一杯としか描かれず、酒名も銘柄も出てこない。名前がはっきり示されるのは、最後のグラスホッパーだけになる。
名前の代わりに酒の側の情報として置かれているのが、杯数だ。初対面の佐々倉に手を見て素性を当てられた伊丹は、二杯飲んで千円札を置き、無言で出ていく。あとで先輩バーテンダーが「二杯も飲んだということはバーテンダーとして認めたのさ」と説明する。一軒2〜3杯で次へ移る客にとって、何杯飲んだかがそのまま店への評価になっている、という読み方をこの回はしている。
チェイサーの扱いも同じ線上にある。帰りかけた伊丹に佐々倉が氷入りのグラスを差し出すが、伊丹はそれを飲まずに店を出る。出す・出さない、飲む・飲まないだけで会話が成り立っていて、酒の名前は一度も要らない。だからこそ最後に名前のある一杯が出てくることの意味が変わる。グラスホッパーは味で選ばれた酒ではなく、名前と記憶で選ばれた酒だ。
家でグラスホッパーを作る
うちの組み方はクレーム・ド・ミント(グリーン)20ml・クレーム・ド・カカオ(ホワイト)20ml・生クリーム20ml、シェークしてカクテルグラス。作中の「1/3 ずつ」とそのまま一致する等量配合だ。バーテンダーは基本的に比率を書かない漫画なので、分量まで示されるこの回は珍しいほうで、しかもそれが標準レシピと同じというのは家で作る側にはありがたい。
色は材料の選び方で決まる。ミントはグリーンでないとあの緑にならず、ホワイトミントで作ると白っぽい一杯になる。カカオも必ずホワイトのほう。ブラウンカカオを使うと緑が濁って茶色に寄る。娘の言う「チョコミントアイスの味」に一番近いのは、グリーンミント+ホワイトカカオという作中どおりの組み合わせになる。
難しいのは生クリームだけだ。乳脂肪分35〜38%の動物性を、よく冷やして使う。47%の高脂肪タイプは重すぎてシェークで分離しやすく、植物性ホイップは分離しにくい代わりに香りが弱い。クリームが入ると素直には混ざらないので、シェークはいつもより気持ち長く、強めに振ること。振り足りないと飲んだときに層が舌に残る。グラスも先に冷やしておく。
買い方の注意として、生クリームは開けたら数日で使い切る前提の材料になる。1杯20mlなので200mlパックだと10杯ぶんあり、確実に余る。小さいパックを選ぶか、余りは料理に回す計画で開けるのがいい。リキュールのほうは逆で、ミントもカカオも常温で年単位で持つ。一度買えば長く使える。
度数は、24度と25度のリキュール等量にクリームと加水が入って、おおむね15度前後に落ち着く。甘くて口当たりがいいぶん、見た目ほど軽くない食後酒だ。作中では祖父が小学生の彰男に舐めさせる場面が出てくるが、当然ながら中身は酒で、佐々倉が同じ一杯を出す相手も大人になった娘のほうになっている。
当ページは作品の紹介と、作中に登場するお酒についての解説です。作品本文・画像の転載はしていません。 引用した台詞は解説に必要な範囲にとどめています。
『バーテンダー』/城アラキ・長友健篩/集英社・スーパージャンプ