漫画とお酒 / バーテンダー

Glass 12 / 2巻

裏切りのグラス 前編

葛原の下で5年修業した内田が、マティーニのステアをひとつ失敗して破門される。銀座中の店に断られた末に辿り着いたバー・ラパンで腕試しにサイドカーを作らされ、同じクルボアジェとコアントローで作ったはずの佐々倉の一杯と味がまるで違う——分かれ目はレモンだった。

この話に出てくるお酒

サイドカー
この回で作られる唯一の酒で、同じ材料から2杯が出る。内田が選ぶのはブランデーにクルボアジェ VSOP、オレンジリキュールにコアントロー。作中に書かれている分量はブランデー30ml・コアントロー15mlで、そのあとは「…そして最後に」レモンを絞る、という言い方になっていて、レモンの量だけ最後まで数字が出てこない。腕試しに応じる佐々倉も「ボクも同じ物で」と言って同じ2本を取るので、2杯の差は材料ではなく扱いのほうにある。作中のシェイキング解説は3つに分かれていて、まず氷——「基本は氷の大きさと固さの選択、そして詰め方」で、表面にきれいなフレーク(氷片)を浮かせたいなら柔らかく小さめの氷で強く振り、逆に大きな氷を使ってブランデーの風味を生かす仕上げ方もある。次に空気——「混ぜる・冷やすは誰でも分かる。もっと大切なのは空気」で、シェイカーのキャップ部分のわずかな空間が空気を含んだ細かな気泡を生み、口当たりを柔らかくする。最後に加水——氷から溶け出す水分が加わることで味全体が丸くなるが、多すぎれば水っぽくなる。「このすべてのバランスを、リズムとシェイカーに触れた指先で感じ取る。それが…シェイキングです」。そして実際の分かれ目はレモンで、佐々倉は表面が少し傷んだレモンをそのまま絞れば苦味が出ると見て、傷んだ部分の果肉を潰さないようにゆっくりと内側だけを絞っている。シェイクに長い時間がかかったのはそのためで、味の差は振り方ではなく絞り方から来ていた、という決着になる。作中の銘柄:クルボアジェ VSOP + コアントロー

名前が出ただけのお酒

martini
内田が破門される原因になった一杯だが、作中では一度も作られない。「先日のパーティーではマティーニを作るのを失敗してしまいました」と内田が葛原に語るだけで、回想に映るのはステアしている手元で、そこに酒名の表記もない。5年の修業がステアひとつで終わる、という重さを担うためだけに名前が置かれている。そのあと内田がラパンで振ることになるのがシェイクのサイドカーなので、失った酒と試される酒がステアとシェイクで対になっている。
マーテル
内田がサイドカーのベースを選ぶときに「長期熟成タイプのマーテルを使ってドライに仕上げてもいいですが……」と挙げるだけで、実際には使わずクルボアジェ VSOP を取る。ブランデーを替えれば同じレシピでも仕上がりが動く、と内田が分かっていることを見せるための一言で、それでも佐々倉の一杯には届かなかった。この回の答えがベースの銘柄選びではないことが、勝負が始まる前にここで潰されている。

「裏切りのグラス」は酒の名前ではない

これまでの回は、題がそのまま酒を指していることが多かった。「古き仲間 = OLD PAL」も「バー・ホッパー = グラスホッパー」も、題を読んだ時点で出てくる一杯が決まっている。この回の題はどの酒も指していない。サイドカーという名前は題のどこにも入っていないし、裏切りという言葉に対応するカクテルもない。

由来は台詞のほうにある。ラパンの斉藤チーフが言う「たった一杯のグラスでも、お客様を裏切ればバーテンダーはすべてを失う」——これが題の中身だ。裏切るのは人ではなくグラスで、裏切られるのは客になる。同じ場面でもうひとつ、「1/100の確率でも不運なトラブルは起こる。しかし、その不運を失敗につなげないのがプロ」という言い方も出てくる。

この2つが並ぶと、内田の破門の意味が変わって見える。マティーニのステアを一度失敗しただけで5年が消えるのは理不尽だが、失敗が起きたこと自体ではなく、それを客の前の一杯に届かせてしまったことが問われている。だから前編は、酒の知識を試す話ではなく、一杯を裏切らせない手のほうを試す話になっている。24ページ目でラパンに葛原が現れて引き、決着は後編に持ち越される。

シェイクで語られるのは氷・空気・加水の3つ

この回のシェイキング解説は、うちの記事に落とせるくらい具体的に組んである。ひとつめが氷で、「基本は氷の大きさと固さの選択、そして詰め方」。表面にきれいなフレークを浮かせて仕上げたいなら柔らかく小さめの氷で強くシェイクし、逆に大きな氷を使えば削れる量が減るぶんブランデーの風味を残した仕上げになる。氷は冷やすためだけの道具ではなく、最初の味の選択として置かれている。

ふたつめが空気で、ここがこの回でいちばん耳慣れない。「混ぜる・冷やすは誰でも分かる。もっと大切なのは空気」と言って、シェイカーのキャップ部分に残るわずかな空間を指す。その空間があるから空気を含んだ細かい気泡が生まれ、口当たりが柔らかくなる。シェイカーを液体で満たしきってはいけない理由が、泡の側から説明されている。

みっつめが加水で、氷から溶け出す水分が味全体を丸くする。ただし多すぎれば水っぽくなる、という但し書きが必ず付く。そして締めが「このすべてのバランスを、リズムとシェイカーに触れた指先で感じ取る。それが…シェイキングです」。振る回数も秒数も出てこない。数えるものではなく感じるものだ、という立場が最後まで崩れないのがこの回の書き方になっている。

同じ材料で味が違った理由はレモンだった

腕試しは、佐々倉が「ボクも同じ物で」と言って同じクルボアジェとコアントローを取ったところで、材料の差が消える。ベースも量も同じ、振る人間だけが違う。それでも味がまるで違って、内田は自分の一杯と飲み比べて驚くことになる。ここまでシェイクの理屈をひととおり並べておいて、実際の分かれ目は振り方ではなかった、という順番になっている。

答えはレモンにあった。佐々倉が手に取ったレモンは表面が少し傷んでいて、そのまま絞れば苦味が出る。だから傷んだ部分の果肉を潰さないよう、ゆっくりと内側だけを絞った。シェイクに長い時間がかかったように見えたのは、振っていた時間ではなく絞っていた時間だった、という種明かしになる。

面白いのは、作中でレモンの分量が最後まで書かれないことだ。ブランデー30ml、コアントロー15mlと数字が出たあとで、レモンだけが「…そして最後に」としか言われない。書かれていないのではなく、量では決まらないという話をしている回なので書きようがない。うちのレシピに落とすときも、レモンだけは分量ではなく扱いのほうを持ち帰るのが正しい。

家でサイドカーを作る

うちの組み方はブランデー30ml・ホワイトキュラソー15ml・レモンジュース15ml をシェイクしてカクテルグラスへ。ホワイトレディや XYZ と同じ 2:1:1 の型で、ベースをブランデーに置き換えたものになる。作中で数字が出ているのは前の2つまでで、レモンの15mlはこちら側の標準値だ。甘さと酸を1:1で釣り合わせておいて、そこから自分の側に寄せていくのがいちばん早い。

ブランデーはクルボアジェの VSOP なら作中と同じものが手に入る。内田が挙げていた長期熟成タイプに替えれば、樽由来の甘い香りが増えるぶん、コアントローを少し減らさないと重くなる。ここは好みの範囲で、どちらが正しいという話ではない。3000円台の VSOP クラスで十分に成立するカクテルなので、最初から高いボトルを開けなくていい。

レモンがこの回の持ち帰りになる。買ったら皮の表面を見て、傷んだところ、柔らかくなったところがあれば、そこを避けて絞る。強く握って一気に搾ると、皮の油分と白いワタの苦味が一緒に入る。半分に切ったら断面を上に向けて、指の力で内側の果肉だけをゆっくり潰していく。搾り器を使うなら押し付けず、回す回数を減らす。作中で佐々倉がやっているのはこれで、家でも同じだけ差が出る。

絞ったレモンは作る直前に用意する。時間が経つと香りの立ち方が落ちて、苦味だけが残る。氷は製氷皿の小さい氷でも作れるが、溶けるのが速いぶん薄まりやすいので、シェイカーに詰められるだけ詰めて振る時間を短くしたほうがいい。振り終わったらすぐ注ぐ。グラスは冷凍庫で冷やしておくと、この一杯は目に見えて良くなる。

スノースタイル(グラスの縁に砂糖を付ける)は好みで付けても付けなくてもいい。作中では触れられていない。付けると最初の一口の印象が甘く変わるので、レモンをうまく絞れた日は、付けずに酸の輪郭をそのまま出したほうが報われる。

当ページは作品の紹介と、作中に登場するお酒についての解説です。作品本文・画像の転載はしていません。 引用した台詞は解説に必要な範囲にとどめています。
『バーテンダー』/城アラキ・長友健篩/集英社・スーパージャンプ